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愛宕神社お参り

新年明けましておめでとうございます。今年の仕事始めは愛宕神社への参拝から。
普段は静かな境内もこの日ばかりはヒトで埋め尽くされていました。

穏やかな陽に恵まれ、無病息災をお祈りしました。

愛宕神社入り口付近の幟

愛宕神社入り口

銀杏の葉がまだ少し残っていました

出世の階段前

出世の階段です。境内がいっぱいで、石段まで人が並んでいます

愛宕神社出世の階段

参拝客であふれかえる境内

愛宕神社境内

今年もよろしくお願い申し上げます



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北国街道(長野市)

しばらく掲載をやめていましたが、今日(2013年2月17日)からまた始めます。

わけあって、昨年11月より東京と長野(長野市)の暮らしをしています。

長野は本州では有数の寒い地域で、今年は特に厳しい寒さが続き、東京暮らしが長い私には
こたえます。2月に入ったにもかかわらず、春の足音はまだまだ聞こえてきません。

今日の写真は、吉田神社と北国街道&長野電鉄

お江戸日本橋を出発した中仙道は、軽井沢を過ぎ、しばらく行った「追分(おいわけ)」で中山道と
北国街道に分かれます。
北国街道は追分宿ー小諸ー田中ー海野ー戸倉ー矢代ー丹波島ー善光寺と進み、善光寺本陣から牟礼ー
野尻湖をとおり、新潟県高田宿へとつながって行きます。

写真は善光寺を出て2キロくらい進んだ吉田付近です。
善光寺方面を撮影しています。北国街道は道幅が狭く、現在はマイナーな道路になっていますが、
そのおかげで、昔の面影を残している場所があちこちにあります。
北国街道1


吉田神社前の北国街道、ここから牟礼へむかいます。
北国街道2


吉田神社
吉田神社2


吉田神社
吉田神社1



吉田神社近くにある長野電鉄桐原駅
このあたりは江戸時代にはさかえた場所ですが、今は静かな住宅街になっています。
とてもローカルな駅ですが、無人駅ではなく駅員さんがちゃんといます。
長野電鉄桐原駅



長野電鉄を走る車両は東急電鉄で使われていたものがメインで、ここで第二の人生を送っています。
普通電車はほとんどが東急の車両です。
長野電鉄普通車両


志賀高原の入り口湯田中温泉まで行く特急車両はJR東日本の成田エクスプレスが使われて
います。長野電鉄仕様の模様がほどこされ、特に、地獄谷温泉の猿たをモチーフにした
構図は一段と目をひきます。(※地獄谷温泉の野猿は外人にとても人気)
長野電鉄特急列車

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大宮八幡宮七夕

7月に入り、七夕が近づいて来ました。大宮八幡宮では七夕の用意が急ピッチです。
竹林から採った笹から大きな七夕かざりが出来上がります。


大宮八幡宮七夕の神事
大宮八幡宮七夕



笹で囲われた入り口の門。ここに短冊がつけられます
大宮八幡宮



大宮八幡宮隣の都立和田堀公園内「あじさい」青
和田掘公園の紫陽花




「あじさい」むらさき
和田掘公園の紫陽花



「あじさい」青むらさき
和田堀公園紫陽花(むらさき)



額あじさい
和田堀公園額紫陽花




つつじ
つつじ




和田堀公園内の池
都立和田堀公園



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世田谷松陰神社

東急世田谷線松陰神社前駅で下車し、商店街をしばらく歩くと松陰神社につきます。

松陰神社は名前のとおり、幕末の思想家吉田松陰を祀った神社です。幼少の頃から才気豊かだった
松陰は、11歳にして長州藩主毛利慶親公に武教全書の講義を行うほどだったと伝えられています。

折りしも黒船を浦賀で眼のあたりにし、日本の植民地化を心配した松陰は、西洋兵学の学習に没頭
しました。やがて松陰は西洋兵学を自分の眼で確かめたいと願うようになり、黒船の再来襲時に
密航を企てたものの失敗し、伝馬町に投獄されてしまいました。

安政5年(1858年)彦根藩主井伊直弼が大老となり、六月に日米通商条約を締結しましたが、これに
反対する勢力も多く、直弼はこれら勢力を一掃する挙に出ます。(いわゆる安政の大獄)

松陰も日本の安全が脅かされると思い、反対の意見書を藩主や塾生に送りましたが、これが幕府の
目にとまり、再度投獄され、安政6年(1859年)10月27日に伝馬町獄舎で処刑されました。(享年30歳)

その後、文久3年(1863年)松陰の弟子であった高杉晋作、伊藤博文などの手により、世田谷若林に
墓が作られました。長州征伐の折に墓は破壊されましたが、明治元年(1868年)に木戸孝允等の手で
修復され、明治15年(1882年)には松陰の御霊を祀り、現在の松陰神社が創建されました。
現在の社殿は、昭和2年(1926年)~3年(1927年)にかけて造営されたものです。

松陰を処刑した井伊直弼は、桜田門外の変(安政7年1860年)で水戸、薩摩の脱藩浪士により暗殺さ
れ、菩提寺の豪徳寺に葬られています。国の行く末を想いつつ、正反対の行動をした人物が同じ地域
に葬られているわけで、歴史の因縁を深く感じさせます。



東急世田谷線「松陰神社前駅」
世田谷線松陰神社前駅



松陰神社境内
松陰神社境内



松陰神社由来
松陰神社由来



吉田松陰像
吉田松陰銅像



社殿
本殿



松下村塾(しょうかそんじゅく)・・山口県萩市 松陰神社にある松下村塾を模して作られたものです
松下村塾



石灯籠の説明
石灯籠説明





石灯籠
石灯籠



吉田松陰の墓
吉田松陰お墓



徳川氏が奉納した石灯籠(風化していますが葵の紋が入っています)
徳川幕府からの石灯籠



木戸孝允(きどこういん)寄進の鳥居(松陰の墓の入り口)
木戸孝允寄贈の鳥居



松陰神社前駅に停車中の306イエロー電車
松陰神社前駅の世田谷線黄色電車

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大渓山豪徳寺

招き猫で有名な「豪徳寺」は曹洞宗の古刹寺院です。(大渓山豪徳寺)

最寄り駅は小田急線豪徳寺駅、東急世田谷線山下駅で徒歩10分くらいのところにあります。また、
小田急線豪徳寺駅前には「招き猫」の像が立っています。
豪徳寺商店街ではゆるキャラの「たまにゃん」を考案し、あちこちに「たまにゃん」がはためいています。

この寺は、彦根藩二代藩主井伊直孝が一族の菩提寺として伽藍を創建し整備したものです。寺の名前は
直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」からとったものです。


この寺には招き猫伝説があります。

ある日、二代藩主井伊直孝が鷹狩りの帰りに寺の前を通りかかった時、寺の飼い猫が手招きするような
しぐさをしたため、それを見て直孝は寺に立ち寄り休憩することにしました。その後、天気がにわかに
悪くなり、近くの道に雷が落ちました。直孝は「猫のおかげで雷雨を避けられた」と大いに喜び、それ
を縁に寺に寄進をするようになり、やがて寺の名も豪徳寺と改め、井伊家の菩提寺としました。

猫の縁で井伊家の菩提寺となった豪徳寺は、境内に招猫堂を建立し、猫が片手をあげ招いている姿を
かたどった招福猫児(まねぎねこ)を作るようになりました。ちなみに、ゆるキャラの元祖彦根城の
「ひこにゃん」は、この井伊直孝をモチーフにしたキャラクターです。


小田急線豪徳寺駅前に設置された「招き猫」
小田急線豪徳寺駅の招き猫



豪徳寺駅前商店街の旗には「たまにゃん」がいます。ひこにゃんに雰囲気が似ていますね
たまにゃんをモチーフにした豪徳寺商店街


豪徳寺参道入り口
豪徳寺入り口



豪徳寺入り口の門
豪徳寺入り口門


豪徳寺境内
豪徳寺境内


豪徳寺梵鐘(1679年作)
豪徳寺鐘楼



豪徳寺仏殿(1677年築)
仏殿(1677年)



三重の塔
三重塔


本殿
本殿


招福殿(招福猫児・・まねぎねこが販売されています)
社務所(招き猫)



招福殿内部・・ひこにゃんもいます
招福殿内部


招福観音堂
招福観音堂



猫観音
猫観音



猫観音堂ちょうちん
観音堂提灯





招き猫



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Author:tamachan
ボウスBOWS・ダイエット・健康食品ネットショップ「サプリタウン」
たま店長のブログです。

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