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善光寺界隈の風景

善光寺は無宗派の寺院ですが、山内にある浄土宗の大本願と天台宗の大勧進により護持されています。日の出とともに本堂で始まるお朝事(おあさじ)は365日行われています。明治末期に本堂での宿泊が禁止されるまでは、参拝者の多くが本堂で一夜を明かし、翌日のお朝事にそのまま参列するのが一般的でしたが、今は境内にある39の宿坊が宿泊と参拝のための施設となっています。

因みに院は25、坊は14ありますが、院は天台宗(大勧進)の、坊は浄土宗(大本願)の管轄になっています。
大勧進の住職は「貫主(かんす)」と呼ばれ、大本願の「上人(しょうにん)」とともに善光寺の住職をつとめ、毎日お朝事に出仕しています。貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっており、大本願の住職(お上人さん)は、創建以来尼上人がつとめています。大本願の尼上人は代々皇室ゆかりの方々が入山されており、現在のお上人は第121世「鷹司誓玉大僧正(たかつかさせいぎょくだいそうじょう)」です。

大本願上人の歴史は古く聖徳太子の時代までさかのぼります。当時の権力者蘇我氏の長「蘇我馬子」の娘、「蘇我 刀自古郎女(とじこのいらつめ)」は聖徳太子妃でしたが、後に出家し「尊光上人」となり、大本願の開山上人となりました。以後、1400年にわたり、代々尼上人が継承されてきました。



大本願(浄土宗)入口
大本願本殿入口



大本願
大本願



大本願本堂
大本願本殿



大本願境内
大本願境内



松尾芭蕉の句 「月影や 四門四宗も 只一つ」

この句は、松尾芭蕉が元禄元年(1688年)8月に木曽路と更科の月見旅を楽しんだときに、
善光寺に詣で作句したもので、この旅の翌年に奥の細道で有名な奥州路への旅に出かけて
います。句碑は更科紀行300年を記念して建てられました。

松尾芭蕉の句碑



左:普賢菩薩、右:文殊菩薩   ・・学業成就のお参りで賑わいます
左:普賢菩薩、右:文殊菩薩



本理院地蔵

徳川家三代将軍家光の御台所として、関白鷹司信房の二女孝子が迎えられました。しかし、子供もなく、
家光没後は本理院殿と称し、淋しい生涯を72歳まで中の丸御殿でおくられました。
遺骨の一部は善光寺の霊屋に収められましたが、災害で焼失、天保三年(1833年)大奥の女性十八名が
供養のため地蔵を奉献しました。

本理院殿地蔵



水子地蔵尊
水子地蔵尊



善光寺仁王門

現在の仁王門は、大正七年(1918年)に全国の信徒の篤志により再建されたものです。仁王像および
背面の三宝荒神像・三面大黒天像は近代彫刻の巨匠「高村光雲」と「米原雲海」の合作です。
「定額山」(じょうがくざん)の額は「伏見宮貞愛(さだなる)親王」の御筆によります。

仁王門




善光寺境内「親鸞上人像」

鎌倉時代、浄土真宗の宗祖親鸞上人は、越後から東国への旅の途中で善光寺を参詣され、善光寺
如来の御前に松の枝を供えられたと言われています。この故事にちなみ、本堂外陣に置かれてい
る華瓶(けびょう)には、「親鸞上人お花松」と呼ばれる、松の若木がいまも欠かさず供えられ
ています。

親鸞上人像




延命地蔵
延命地蔵



大勧進本堂(天台宗)
大勧進本堂



聖観世音像
聖観世音菩薩




賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)

お釈迦様の弟子、十六羅漢の一人。なで仏ともいわれ、このお像を撫でた手で、自分の悪い
ところを摩る(さする)と病気が治るといわれています。

賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)



大勧進より善光寺を望む
大勧進より善光寺を望む



大勧進池付近からの「山門」の眺め
大勧進池付近からの山門眺望



大勧進、甲羅干しをする池の亀
大勧進池のかめ

テーマ : 写真日記
ジャンル : 日記

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たま店長のブログです。

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