スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

信州小諸懐古園1

小諸懐古園は、小諸城の三の門から本丸にいたる城の中核部分を公園として整備した地域です。
小諸は島崎藤村ゆかりの地で、明治32年から38年まで小諸義塾の教師として教鞭をとるかたわら、
7年の滞在の間に「雲」「千曲川のスケッチ」「落梅集」「旧主人」などの作品を発表、また、
長編「破戒」の起稿をしました。懐古園内には藤村記念館があり、藤村にまつわるさまざまなもの
が展示されています。(写真撮影不可で残念でした)

小諸城のルーツは古く、木曽義仲の家臣小室太郎光兼が現城址のそばに館を築いた事に始まります。
(養和元年:1181年)その後、佐久から大井氏が移り、長享元年(1487年)大井光忠が鍋蓋城を
大手門北側に築き、その子光為が現在の二の丸付近に乙女城(白鶴城)を築きました。大井氏の二
つの城は、天文年間に甲斐の武田信玄により攻略され、その武将山本勘助と馬場信房により城の縄
張(設計)がなされ、およそ現在の城の原型が作られました。懐古園の中には山本勘助が愛用した
と伝えられる「鏡石」があります。

明治4年(1871年)の廃藩置県で小諸城は役割が終り、明治13年(1880年)に神社を祀り(懐古神社)
、以後懐古園と呼ぶようになりました。


「小諸城三の門」国の重要文化財

元和元年(1615年)仙石忠政が創建しましたが、寛保2年(1742年)の大洪水により流出し
明和2年(1765年)牧野康満の代に再建されたものです。

重要文化財「三の門」


三の門に掲げられた「懐古園」の額   ・・徳川家達(いえさと)の筆によります
「懐古園」三の門の額


三の門の説明
三の門の説明文



三の門 両方の塀に矢狭間、鉄砲狭間が付けられた戦闘的な建物
三の門別角度



「三の門」懐古園側からの眺め
三の門内側より



二の丸跡
渡り矢倉の「二の門」があったところ。石段の上が二の丸跡で白鶴城があった。徳川秀忠が上田の
真田親子にはばまれ逗留した。


若山牧水の詩 「かたはらに 秋くさの花かたるらく ほろびしものは なつかしきかな」


二の丸跡&若山牧水詩


二の丸跡 旧白鶴城があった場所
二の丸跡




小諸義塾を開いた木村熊二のレリーフがはめ込まれている石垣
木村熊二レリーフが入った石垣



木村熊二レリーフ
木村熊二レリーフ



木村熊二に関する説明
木村熊二の説明



南丸跡 南丸は昔武器庫があった場所
南丸跡



北の丸跡 隠居所があった場所で、現在は小諸懐古射院として利用されている(和弓)
北の丸跡



黒門跡  一の門が建っていたところ
黒門跡



懐古園稲荷神社
懐古園稲荷神社



稲荷神社由緒
懐古園稲荷神社由緒

テーマ : 写真日記
ジャンル : 日記

コメントの投稿

Secret

プロフィール

tamachan

Author:tamachan
ボウスBOWS・ダイエット・健康食品ネットショップ「サプリタウン」
たま店長のブログです。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。