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世田谷松陰神社

東急世田谷線松陰神社前駅で下車し、商店街をしばらく歩くと松陰神社につきます。

松陰神社は名前のとおり、幕末の思想家吉田松陰を祀った神社です。幼少の頃から才気豊かだった
松陰は、11歳にして長州藩主毛利慶親公に武教全書の講義を行うほどだったと伝えられています。

折りしも黒船を浦賀で眼のあたりにし、日本の植民地化を心配した松陰は、西洋兵学の学習に没頭
しました。やがて松陰は西洋兵学を自分の眼で確かめたいと願うようになり、黒船の再来襲時に
密航を企てたものの失敗し、伝馬町に投獄されてしまいました。

安政5年(1858年)彦根藩主井伊直弼が大老となり、六月に日米通商条約を締結しましたが、これに
反対する勢力も多く、直弼はこれら勢力を一掃する挙に出ます。(いわゆる安政の大獄)

松陰も日本の安全が脅かされると思い、反対の意見書を藩主や塾生に送りましたが、これが幕府の
目にとまり、再度投獄され、安政6年(1859年)10月27日に伝馬町獄舎で処刑されました。(享年30歳)

その後、文久3年(1863年)松陰の弟子であった高杉晋作、伊藤博文などの手により、世田谷若林に
墓が作られました。長州征伐の折に墓は破壊されましたが、明治元年(1868年)に木戸孝允等の手で
修復され、明治15年(1882年)には松陰の御霊を祀り、現在の松陰神社が創建されました。
現在の社殿は、昭和2年(1926年)~3年(1927年)にかけて造営されたものです。

松陰を処刑した井伊直弼は、桜田門外の変(安政7年1860年)で水戸、薩摩の脱藩浪士により暗殺さ
れ、菩提寺の豪徳寺に葬られています。国の行く末を想いつつ、正反対の行動をした人物が同じ地域
に葬られているわけで、歴史の因縁を深く感じさせます。



東急世田谷線「松陰神社前駅」
世田谷線松陰神社前駅



松陰神社境内
松陰神社境内



松陰神社由来
松陰神社由来



吉田松陰像
吉田松陰銅像



社殿
本殿



松下村塾(しょうかそんじゅく)・・山口県萩市 松陰神社にある松下村塾を模して作られたものです
松下村塾



石灯籠の説明
石灯籠説明





石灯籠
石灯籠



吉田松陰の墓
吉田松陰お墓



徳川氏が奉納した石灯籠(風化していますが葵の紋が入っています)
徳川幕府からの石灯籠



木戸孝允(きどこういん)寄進の鳥居(松陰の墓の入り口)
木戸孝允寄贈の鳥居



松陰神社前駅に停車中の306イエロー電車
松陰神社前駅の世田谷線黄色電車

テーマ : 写真日記
ジャンル : 日記

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まとめtyaiました【世田谷松陰神社】

東急世田谷線松陰神社前駅で下車し、商店街をしばらく歩くと松陰神社につきます。松陰神社は名前のとおり、幕末の思想家吉田松陰を祀った神社です。幼少の頃から才気豊かだった松陰...

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